ターナーアワード2017の総評
山口 裕美(アートプロデューサー)
受賞なさった皆さん、おめでとうございます。
総評として一言。ファインアート部門の大賞を受賞された北川彗さんの作品「顔」は決して大きくはない作品ながら、強い印象を残すものでした。近づいてみると非常に細かく、まるで刺繍のような繊細さであるのに、大胆な構図で、その構成力が良いと感じました。もっと他の作品も見てみたいです。
高校生の森崎慎太朗さんは非常に不思議な絵画で、さまざまな想像力を駆使させられました。未来賞の受賞ですが、まさに未来に期待したいです。
個人的には未来賞受賞の神田さん、内田さん、富田さんの個性にも惹かれる部分がありました。
全体的な印象では、皆さん、まだまだ力を出し切っていないのではないか、という不満が残りました。もっと大胆にやりきる、振り切るべきではないか、と思うのです。時々、若いアーティストに「死ぬ気でやってみて、けっして死なないから」と言っているほどです。(笑い)
それから、今回、第一次審査で強く感じたことですが、ターナーアワードに作品を応募する際に一人が複数点応募する理由にはどんな理由があるのでしょうか。
① 自分の作品がどれも良いので審査員に選んでもらおう
② やりたいことがたくさんあるからやってみよう
③ 「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ということでたくさん出しちゃえ
まずは、アーティストになろうとしている自分が「審美眼」を持っていないことには
始まりません。そのあたりを応募なさる方はぜひ考えてみてください。「応募のための戦略」ということも頭の隅に置いておくべきではないでしょうか。第一次審査は書類審査ですから、自分の作品が良く見える写真を用意したり、熱意がわかる作品解説も重要ですね。
描く方も真剣ならば、観る側も真剣です。大事なチャンスをぜひ掴んでください。
(以上)
平川 恒太(アーティスト ゴールデンコンペティション2012大賞受賞)
今回、一番大変だったのが一次の写真審査でした。なるべく細部が分かり辛い作品も実物の作品を想像して選びました。今回大賞を受賞した北川慧さんの作品もそういった作品です。一次審査では、スタイルがアメリカのアニメーションや未来派、青騎士といったものを想起させ少し古臭い印象がありました。しかし、二次審査で実物の作品を見ると写真審査では分かり難かった細かく丁寧な線の仕事や画面の強さを感じ、現代的な描きこみとオールドスタイルのイメージが絶妙にマッチしていました。未来賞の森崎慎太朗さんの作品は今回惜しくも大賞を逃しましたが、とても力のある作品です。横断歩道と人のサイズが不自然で、画面左下を何か竜巻か津波のようなものが遮ります。シュールレアリストが多用したコラージュやスケールの変化といった要素や意図を感じます。絵具と筆使いによる画面の強弱も上手く大賞に並ぶ素晴らしい作品でしたが、作家性という観点で北川さんが大賞になりました。同じく未来賞の町田帆実さんの作品は抽象化された料理の色彩やマチェールによるコンポジションが楽しいです。
審査全体の印象としては既視感を強く感じました。もちろん星の数ほどある作品の中で似るのは仕方ないですが、自身のテーマや考えを持った作品はオリジナリティーに繋がります。
次にイラストレーション部門ですが、イラストレーションかファインアートか自身でも分からず応募している方が多かったようです。確かに近年ファインアートとイラストレーションの境界は曖昧です。しかしイラストレーションはファインアートに比べテーマが明確な必要があると僕は思います。内田大司さんの作品は銭湯の風呂上がりの脱力感が上手く表現されています。最後に少し気になったのが、イラストレーション部門は特に授業課題の様な作品が目立ちましたが、何を表現したいのかよく考え自身のスタイルやテーマを模索して是非、次回チャレンジしていただきたいです。
亀井 篤(ターナーギャラリー)
私は、特に絵具の使い方に注目しながら、ファインアート部門は、新しい表現方法に挑戦できているか。作家としての将来性が感じられるか。
またイラストレーション部門については、描くモチーフをテーマをもって再構成できているか、技術的に描き分けができているか。
という観点から審査させて頂きました。
ファインアート部門 大賞 北川慧さんの「顔」について、一見刺繍のように見える緻密な線を繋げた描き方が印象に残りました。派手な色使いではなのですが、不思議に色味を感じる表現方法となっています。
真ん中に人物の顔を配置しており、ともすれば単調になりがちな構図ですが顔の輪郭や髪の線で流れを作り、存在感と動きが心地よい作品にまとめられています。他の作品も見てみたいですね。
特に受賞者の皆さまにお伝えしたいのは、皆さんの作家としてのキャリアは今からということです。大賞や上位賞を受賞したからと言ってこれがゴールではありません。
なるべく多くの作品の制作・展示を経験し、磨き上げていってください。
また、受賞に至らなかった中にも魅力ある作品が多数ありました。満足いく結果が得られなかったとしても、何か次へ繋がる答えが見つかるかもしれません。一歩前進する機会にかえていってください。
これからの皆さんの活躍を楽しみにしています。
齋藤 芽生(アーティスト 東京藝術大学准教授)
二部門が分かれても両者の傾向にそれほどの差違は感じなかったのは、ファインアートとデザインの境界が曖昧な時代性を反映したのか。技術や構成においても、個人性あるいは美術の文脈との繋がりにおいても、力量不足を全体的に感じたが、その中でファイン部門の大賞「顔」(北川慧)、同部門の未来賞「二重ヒエラルキー」(森崎慎太朗)はそれぞれ、前者は絵画の構造と技法への探求、後者は文学的な物語性への志向と、自己にとっての絵画の意味を自覚している強さがあった。派手ではないがじわじわと個性を予見させる深みを両作品には感じた。未来賞「食べる風景」(町田帆美)はまだ印象が弱いが、具象的なモチーフを使いつつ抽象性にまで意識が及ぶ表現になるところが見たい。「皇帝の墓」(東城圭次郎)は、背景にどのような物語の設定や個人的経験があるのか興味をそそられた。
イラストレーション部門は、イラストレーターへの道につながるもの、デザインとして通用するものという観点を加味して審査に臨んだ。未来賞「沸騰」(神田遥花)は、限定された色彩で鮮烈な印象を観る者に刻み込み、やがて細部の面白さに気付かされる。「母のUK」(富田茜)はファイン部門の「皇帝の墓」同様、背後にある個人の風景の意外さに興味を惹かれた。「銭湯」(内田大司)は柔らかい色彩とキャラクターの親しみやすさが評価された。
私は大学の油画科で教鞭をとっているが、美大の現場でもこのコンクールでも、若年層の表現への姿勢に共通点を感じる。表現の向かう指標を、SNS等での「同世代からの共感」に合わせて設定する傾向が強い。ただ、共感性への安住が、うたかたの消費の為合いにもなることもある。まだ見ぬものの第一発見者であろうとする労苦より、既視感のある表現で共感を広げるほうが手近に得られる幸福かもしれないが、そこで褒め合うだけでは育つはずの独自性も育たない。出来る限り自身に対して自分が一番厳しい目利きであって欲しい。目を肥やすためにも同時代以外の文化歴史にも興味の対象を広げ、また趣味嗜好を越境して異文化の意外な体験の中に人生を投げ込んで欲しい。手と足と目への負荷が、力量を自然に引き上げてくれるだろう。