ターナーアワード2024 受賞作品発表

ごあいさつ

1990年にスタートした TURNER AWARD は、若い学生アーティストの第一歩を応援する公募展としてスタートいたしました。記念となる35回目を迎える今回は、新たに他公募展での選外作品も応募可能とし、より多くの作品の可能性を広げた結果、前年を上回る832点のご作品をご応募いただきました。さらに、文部科学省、全国市町村教育委員会連合会、並びに全日本グラフィックデザイン協会からもご後援をいただいております。 本公募展がアーティストを目指す若い皆様にとって、飛躍のきっかけとなることを願っております。

今年度の審査員は、昨年に引き続きO JUN氏(画家)、長尾 謙一郎氏(漫画家)、山口 晃氏(画家)の3名に加え、松井 えり菜氏(画家)を新たにお迎えし、若い学生たちの「描く」ことへの熱い思いを受け止めていただきました。審査の結果、本年度は山手学院高等学校 徳岡こころさんの「にほふ」が大賞に選ばれました。審査員特別賞には、O JUN 賞に黒田真未さんの「帰り」、長尾 謙一郎賞に鈴木希音さんの「認識」、松井 えりな賞に高橋美也子さんの「風に浮かぶ」、そして、山口 晃賞には安藤愛花さんの「ひとり部屋」が選ばれました。大賞を含む 34 点の受賞作品は、東京と京都を巡回いたします。会場にて多くの方々にアーティストの情熱を感じていただけますと幸いです。

結びになりますが、この場をお借りしまして、ご協力並びにご支援をいただきました皆さまに 厚く御礼申し上げます。

2025年1月
ターナー色彩株式会社

審査員コメント

  • 撮影:木暮伸也

    O JUN(画家)
    入賞及び上位入選を高校生が占めた。昨年もたしかそうではなかったか。この数年その傾向が強いと印象している。大学生の応募者数が高校生や専門学校生に比べてやや少ないことも原因かと思うがそれにしてもこの結果はいかがなものか。審査する側の判断や個々の作品や表現への理解が及ばないというのもあるかもしれぬ。とはいえ複数の審査委員が2次審査の会場で全作品を繰り返し見て長考の末の結果である。対象への率直な向かい方と距離間。注がれる眼差し、執拗な描きは必然的に画面や造形に緊張感と迫力を与える。高校生たちの制作にはそれが有る。それだけで闘っているといってよい。だから、時分の花がある。大学生になったり、そのまま作家になっていく過程ではいろいろな刺激や知識やワザを覚え勘を養っていく。その時につくるものは洒落ていたり処を得たり気の利いたこともできるようになる。視野もそれなり広がる。しかしそれらが同じ土俵に上がるとがっぷり四つの組相撲と飛んだりすかしたり、相撲にならない気もする。これは相撲ではないが同じようなことが起きているように見える。特に美大生は学部を終わって野に出て数年経って学生時に着込んだいろいろが身に合わぬものは落ち、大事や大変が心底身を焼きつつも必要自然、適うこととして合点し、そこにすぐれた技も備わって表現に深みも出てくるだろう。それを思うとあと数年待とうかという気持ちもある。欲を言えば、大学生、美大生の作品に理解に苦しむものがもっとあってよいのではないか。何を根拠にしてこのようなイメージをつくろうとしているのか?どこへ行こうとしているのか?不可侵な気配に満ちていたり、複雑な構造にこちらが阻まれるような制作があってもよいのではないか?ともあれ、経験値の深浅に関わらず渾然として下剋上の様相を呈するこのアワードは他にない面白さがあると思う。徳岡こころさん「にほふ」公園の一角が描かれてある。遊具、犬、ベンチに腰掛けるペア?それぞれの対象が遠近を以てトライアングルに配された構図。全体がブルーに染まる空間に立ち昇る気配もそれぞれだ。空間に紛れ浸潤してゆく情動が深さを湛えながらもどこか不穏でもある。青と黄がこの風景の中の事物を照らし、或る時間と所在を与えている。黒田真未さん「帰り」車窓にもたれ頬杖をついて学校から帰宅中の様子を描いたもの。ていねいな観察と描写は日常の或る情景をよく表現している。見るべきところは車内の明るさに対して車窓に映る像の方だ。明彩度の比較とそれに応じた絵具の塗りと筆触。実像と虚像の描き分けが徹底して試みられ効果を上げている。あらゆるメディウムで表現される“自然に見てしまう日常の光景”は、注がれる画家のまなざしと技術の賜物であり秘めたる本懐だ。マーシアレクサンドラさん「贈り物」空き箱に着彩、さまざまな紙片やメモ書きが貼られたり記されてある。空き箱なのになんて満たされてあることか!この箱を送られて開いた者の喜びがまだ箱の中に残って聴こえてくる。“痕跡”が現在を生きるという素敵な作品。安藤愛花さん「ひとり部屋」広い部屋に配されたミニチュアのような事物や人。そこに真っすぐに延びた筆がまさに描かれ行く今を見せる。いずれも描かれた対象同士がコンタクトしているという動態のような画中画!高橋美也子さん「木にあいた穴を覗く」不思議でとても魅力的な絵。画面上で外側と内側の二重イメージが明快に活き活きとした筆致、色彩がとても高い絵画性を見せている佳品。松村菜穂「おふろのおだやかな一日」手のひらに乗せてしげしげと見た。筆の動きが誠実だ。豊なものを感じる。この絵のイメージがこのサイズなのはわかる。わかるけれども、大きいサイズの絵はどんなふうに描いているのだろう?上川桂南恵「魚 光」目に残る絵だ。自分はこの人のもう一枚のほうが気になった。魚と光は言葉にするとどういう接続や回路がつながるのかわからないが絵に描くともっとよくわからない。けれどそれが絵に描かれたモノ同士の距離であり関係だ。イメージの続柄はつねに画家だ。別な絵も見てみたい。
  • 長尾 謙一郎(漫画家/イラストレーター)
    大賞作品への講評
    色を抑えた表現が良い。制作過程に現れる無限の選択肢の中でぐっとこらえた瞬間もきっとあったでしょう。地面に土を表現する色を塗るとどうなるだろう?だとか、手前のパンダを黄色でいくべきか等、きっと思いを巡らせた時間もあったでしょう。その「抑制」が絵の魅力に結びついていると僕は思う。だからと言って全てが理性的なものではやはり絵はつまらない。樹木を快楽的に遊び描いたところもこの絵の魅力。少し気になったのが、作品内の時間。これは秋口の夕方を捉えたものなんだろうか?はたまた夏の夜の街灯の灯りなのか?(こういった空気感や描き手の感情なども以心伝心て伝えられるのが絵の魅力でもある。)もしよかったらいつか教えてください。あと、僕は漫画家なのでどうしてもコンポジションを厳しく見てしまう。犬の立ち位置は考えどころかな。今後の課題にしてください。しかし、セルリアンブルークロームはいい色だな。
    長尾賞作品への講評
    資本主義的大量の広告、完全監視されたうつろな人々、インターネットsns至上主義社会、世界中に巻き起こる戦火、まるでおかしな世界に迷いこんだのかと錯覚を覚える現代。そんな世界に対する「怒り」や「苛立ち」を僕はこの絵から感じた。キャンバスの前で絵描きは創造主。あれやこれや世界には色々あるけれど、あたしから言わせればこの世界の全ては単なる幻よと言わんばかりに空を破いてみせた。シビれた。これは現代のシュルレアリスムなのかもしれない。社会に対する「反撃」であり、絵描きの勝利宣言なのだ。2024年頃に渋谷のスクランブル交差点を描いた風景画として、100年後に鑑賞してみたい。君の勝ち。
  • 撮影: Ichiko Uemoto

    松井 えり菜(画家)
    味わい深い作品には、余白があるように思います。大賞となった徳岡こころさんの「にほふ」は、限られた色調の中に生きている犬の”動”と公園の遊具の”静”がコントラストとなり余白のある画面の中に緊張感を生み出しました。一点を見つめる犬の視線はどちらの遊具を見ているのか?その緊張感の“間”の正体は、謎かけのようにタイトルに示唆されています。クスッと笑ってしまうファンクションもある一層深みのある作品となっております。松井えり菜賞に選ばせていただいた高橋美也子さんの作品群は、一次審査の時から、言語化できない魅力を感じていました。その中でも受賞作の「風に浮かぶ」は、作品を見た時に自然とアナザーストーリーを思い浮かべてしまいました。地下鉄の階段を駆け降りている時に、急な突風に体が煽られ過ぎゆく電車。「あっ!」と茫然と見送り遅刻を確信してしまった時の私。記憶にこびりついているシチュエーションとコネクトし、強く印象に残りました。コンペなどの賞レースでは、多くの学生があり余るパワーとやる気で隅から隅まで描き尽くしてしまう傾向がありますが、隅から隅まで意識を保ちながらも力の抜き方を熟知し、思い切りの良い筆致がキャンバスの中で三次元的な空間を作り出すことに成功しています。作者の意図とは違うかもしれませんが、高橋さんの絵画は、その絵画の後先を想像する余地がある秀作です。また正野友也さんの「破懐(はかい)の火龍」は正反対に画面の隅から隅まで描き尽くされています。若さと情熱が籠り湿度となったのか、ぬめっとした質感すら生まれ、モティーフは子供の頃には、誰しもが憧れたであろう、ドラゴン。自分の好きを信じ、突き詰めることで世界観が生まれようとしている意欲作となっております。しかしまだ技術力には伸び代があるので、メディウムや絵の具を駆使し自分だけの質感を見つけてこれだけは自分にしか描けない!を作っていって欲しいと願っております。今回初めてのターナーアワードの審査でしたが、見応えのある作品が集結していました。しかし二次審査では昨今の輸送費高騰、遅延により作品が締切までに到着させることができなかったり、二次審査を辞退される方々もいらっしゃいました。実際に二次審査では、大きな作品が隣にあると入選作の多くの小ぶりの作品が見劣りしてしまい本来の良さが見えにくくなっていました。しかし小さな箱の作品ながらもマーシアレクサンドラさんのダンボールの立体作品「贈り物」は箱に貼ってある切手もドローイングとなっており、随所に趣向が凝らされ非常に目を惹きました。小さい作品でも工夫が凝らされていたり、木枠やパネルに拘らず巻いて送れる大作などコンペにおける輸送問題を蹴散らすやる気と創意工夫がこれからの活動の場を広げるソリューションとなるかもしれません。
  • 撮影:曽我部洋平

    山口 晃(画家)
    大賞作品への講評
    「三原色と白」程度に色数を絞り、更に絞って明部の黄色と、基調となる中間トーンの青の二色がメイン。その戯れから次々と画面が作り出される。黄色と青の明暗で見るとモノトーン的画面だが、混色で生じた緑色が同じ色を固有色にも見せてくる。明暗で見れば夜の情景が固有色では昼間の風景だ。「戯れ」が揺らぎを生んでいる。画面右下のパンダから、コアラ、滑り台、木立ち、人物、左上の林の翳りを結んだ対角線いっぱいを使っては、西洋絵画のオーソドックスな明暗法による、目を受け止めるプラン(面)の重なりと明暗の対比を絡ませた、堅固で奥行きある空間が作り出される一方、画面左下のワンちゃんから、滑り台、コアラ、右上に切れてゆく樹木を結ぶ対角線ではそれらが解体される。ワンちゃんの股下、顔前面、背面では背後の空間は不整合となり、背面の黄色い草地は背中に入れた明るめのトーンによってワンちゃんの背中と癒合する。コアラのおでこと奥の草地も同様であり、イリュージョンから実際の絵の具層の重なりに目を向けさせる。右上に切れてゆく樹木の明部のタッチは、作者の手の動きと絵の具や筆の自律性が三つ巴に表れ、画面に物質性による清新さを加えている。全体に手数が絞られ一筆一筆は際立ち、容易に筆跡を辿らせる。それは作者の意識の移ろいに見るものを同期せしめてくるが、それ以上に作品の構造がイメージと二重写しになっているような感覚に導かれる。鑑賞においては作者の手の跡を辿り画面の生成を追体験してゆくが、この作品ではそれが殊更線的に明示されていて、りんごを、皮はおろか身や芯に至るまで全く途切れずに一本で剥き切ったものを提示されているような、部分と経過と全体を同時に見る思いがする。様々の揺らぎがシームレスに偏在した、絵画の技法や歴史を盛り込んだエチュード。これだけでも十分だが、「にほふ」のタイトルが導く解題の楽しみまで付いている。

    山口晃賞作品への講評
    床と正面の壁のみ見える室内。画面を構成するに足るギリギリのサイズまで小さく描かれたモチーフ。小さく描かれたことで、周囲に発する固有の振動や、モチーフ同士に働く引力や斥力が感じられてくる。モチーフに比して床や壁を描くタッチは曖昧で、壁が茫洋とした奥行きのある空間にも見える。すると、はめ殺しの窓が宙に浮かぶ温室のように見えてきて、赤瀬川原平「宇宙の缶詰」的な内と外の転換が起こる。「ひとり部屋」が「世界」と「二人きり」の部屋となる。熊は床に寝そべるが、象は背後の空間をえぐって床を壁に変えている。重力軸を知覚して打ち消している、地面が水平線に消失する傾斜面として見えていることを思い出させる。地面の不確かさ。窓の外にはせり上がってゆく地面。際限なく転がり落ちてゆく恐怖。筆を持つ手が全てを平面上のイメージへとリセットし、画面中央の鉄道玩具よろしく、円環が始まる。全体は端的な描写ながら、所々に性質の異なる転換の端緒が潜む油断のならない絵。
  • 敬称略、順不同