ターナー色彩株式会社

   
美術手帖2013年3月
深堀隆介
深堀隆介


石井芳征=取材・文
山本あゆみ=撮影
Text by Yoshiyuki Ishii Photo by Ayumi Yamamoto

金魚酒−夕姫 kingyo sake-YUKI  2012 / 木曽檜一合枡、樹脂、アクリル絵具 8.5×8.5×5.5cm

屏風-金魚の間 kingyo no ma 2005-2010
屏風にアクリル絵具 173×171cm


美渦 muses 2012
寿司桶、柄杓、樹脂、アクリル絵具 Ø60×15.5cm

韓雪 karayuki 絵:2010、額:2012 パネルにアクリル
絵具、雲母、額、真鍮箔、樹脂粘土 182.5×91.5cm

アトリエで飼育している金魚たちを眺めて思案する。写真は初恋ちゃんと名付けられた愛魚

枡に流し込んだ樹脂に金魚を描いていく。体のパーツごと、影等複数の層に分けて描くことで立体感が増す

本物の金魚と深堀が「作出」した金魚(作品)、金魚だらけの空間。アトリエというより、「金魚養魚場」といった趣き

新品ではなく、使われた痕跡(時間)のある器を好んで使う。そうした器には描く前に金魚が見えるという

今にも「ゆらっと」動き出しそうなリアルな金魚。

これからどう動くか、その前にどう動いていたか、動画のコマ送りのように一歩先と一歩手前を想定し絵にしているという。作者の深堀隆介は金魚しか描かない。作品をつくること自体に迷い、スランプに陥っていた時期に金魚という存在に出会い、彼は創作の動機を見つけた。彼はこれを「金魚救い」と呼んでいる。以来ずっと金魚を描き続け12年が経つ。

「自宅の狭い水槽で飼っていた全盲の金魚を何気なく眺めていたんです。水も汚れ、藻が生えた窮屈な世界に閉じ込められて生きている、そのみすぼらしい姿が、そのときの自分と重なったんです。池や川、外の広い世界を知らずに死んでいくことは不幸なことかもしれない、でも一方でそれを知ることが幸せなのか、このままのほうが幸せかもしれないとか、いろんな考えが頭の中を駆け巡って・・・・・・」。

こうして深堀の絵は、まず金魚を自分の姿に重ねる自画像として始まった。それは金魚を通して自身を対象化する行為だった。たとえば、醜さと美しさの矛盾の構造を金魚に発見し、自分の中にある嫌な感情や負の部分、男性性/女性性など、ある種自己の混乱を吐き出すように、金魚の内蔵に描き込み、煌びやかな鱗を纏まとわせて描いたりしている。

それ以降は、金魚を通して日本の文化や宗教観、人間の業、歴史にまで思考の範囲は広がり、金魚の意とは別に(そんなものがあるかはわからないが)、狭い水槽から広い外の世界へと思考が飛躍し、より大きな意味での自画=自我像へと変化していった。

たとえば、原産国である中国や他の海外諸国とは違う日本固有の金魚観があるという。深堀によれば、観賞魚として愛でる以上の神聖な存在として金魚が受容されてきたのではないかと。なるほど神社の祭りに付き物の「金魚すくい」が、熱帯魚だったら風情も何もあったものではない。「桝」を使った《金魚酒》という作品もそのような神聖を表現したものだ。また『古事記』や『日本書紀』などに出てくる古代の神々からつながる天皇の系譜に、金魚の品種改良の歴史を重ね合わせ、お堀の中の天皇と鉢の中で愛でられる金魚という構図を見るなどの独自の解釈を展開している。

「あるとき絵にしなくていいんだと思ったんです。僕の新しい金魚をつくる、それでいいと。脳内養魚場がありまして。金魚をじっと観察して、その動きや仕草から、かわいさとか、おぞましさとかいろんな要素を脳の中で掛け合わせて一匹の金魚をつくる。描くというより養魚場のおじさんみたいに『作出』していると言ったほうがピンときますね」。

絵画や現代美術という縛りを忘れた瞬間から、深堀の表現はやっと始まった。深堀曰く、金魚は絵のモチーフではなく、「言語」だという。言語なしに思考は生まれないし、そこから生まれた様々な思考をカタチにするのもまた言語である。つまり言語とは、一にして全である。言語とはまた大げさなと思うかもしれない。しかし深堀の話を聞くと、確かに彼の作品のすべてが金魚から始まり、金魚とは直接関係ないところまでまるで連想ゲームのように思考が広がり、再び金魚へと帰着する。つまり金魚は深堀の作品のすべてであると言っていい。金魚の絵画ではなく、金魚そのものなのである。また金魚は、様々な思考やテーマが交差する場所に浮かび上がる「しるし」であり、そのしるしを記述あるいは翻訳することが、深堀に赦されたできることのすべてであり、金魚に背負わされた宿命あるいは、かけられた呪いなのだ。

「1700年前、中国の野の池にいた一匹の赤いフナが人の目に留まり、人が愛でるためにいまの金魚という種が繁栄したことを考えると、より美しい、珍しいものをと、人の欲望によって品種改良を繰り返されてきたけれど、実は子孫繁栄のために人間のほうが彼らに利用されているのかもしれない。僕も餌を与えているつもりでいるけど、与えるように洗脳されているのかもしれない。こうなったらとことん洗脳されてみようと、あるとき決めたんですよ(笑)」。

小さな水槽から広い世界へ。金魚は深堀という絵描きを遣わせて自らを産ませ、増やさせ、野に解放させる。果たして誰が作者なのか?と、こう書いている自分もまた金魚の呪いにすでにかかっているのかもしれない。
Sakurako Hamaguchi
Riusuke Fukahori

1973年愛知県生まれ。95年愛知県立芸術大学美術学部デザイン専攻学科卒業。主な個展に、05・10年東京国際フォーラム・アート・ショップエキジビションスペース(東京) 、06年〜10年ギャラリーIDF(東京)、08年SHANGHAI ART FAIR 2008(上海)、ART TAIPEI 2008( 台湾)、09年Galerie an derPinakothek der Moderne (ミュンヘン)、10年art KARLSRUHE 2010(ドイツ)、11年ICNギャラリー(ロンドン)、12年池袋西武本店アートギャラリー(東京)、ハーバーシティギャラリー(香港)など。その他音楽とのコラボレーションでライブペインティングも多数。主な受賞歴に、03年「ターナー・アクリル・アウォード2003」今井祝雄賞、06年「第9回岡本太郎現代芸術大賞展2006」入選など。
私の一色 カドミウムレッドダーク 24-D
僕が求めているのは、金魚が持っている自然な赤、緋色なんです。金魚の色を鮮やかにするために色揚げ剤を使って出るような人工的な真っ赤ではなく、オレンジっぽい黄色の混ざった赤。特に樹脂の作品では、樹脂を流し込むと、明るめに立ちすぎて生っぽくなってしまうので、暗めのカドミウムレッドダークがちょうどよくて、黄色と混色してよく使います。暗めだけど発色がいいので僕の金魚には欠かせない色です。