ターナー色彩株式会社

   
美術手帖2012年9月
新藤杏子
新藤杏子


石井芳征=取材・文 浅井広美=撮影(作品図版除く)
Text by Yoshiyuki Ishii Photo by Hiromi Asai

dinner 2012 アルシュ紙に水彩、グアッシュ、インク 53×33cm Courtesy of GALLERY YUKI-SIS

rest 2012 アルシュ紙に水彩、グアッシュ、インク
53×41cm Courtesy of GALLERY YUKI-SIS


suggestion02 2012 アルシュ紙に水彩、グアッシュ、インク 45.5×38cm  Courtesy of GALLERY YUKI-SIS

4曲屏風の作品《another》(2012)の部分

4曲屏風の作品《another》(2012)の部分

愛用する筆は父の友人の元虫プロのアニメーターの人から譲り受けたもの

筆を置くと、顔料が水を伝いうっすらと広がって、モチーフを色づけていく

近作が並ぶアトリエにて。最近は「足を運んで見てみた
い」と人に思わせたいという欲求が出てきたという新藤

制作中の作品。エスキースは描かず、頭の中でイメージを完全に固めてから描くため、実際の制作は非常に早い
水彩とアクリル絵具の淡い色彩で描かれた、輪郭の曖昧な白い生き物。作者の新藤杏子いわく、これらは「思考の集合体」だという。

「私の作品に描かれている像は、性別、年齢というものはありません。また特定の誰かということもありません。その像を思考の集合体のアイコンだと考えています」(新藤杏子 アーティスト・ステイトメントより抜粋)。

この「思考の集合体」なるものを見て、まず思ったのは「餅のようだ」ということ。白くてふわふわ柔らかそうなからだは、まさしく餅。芸術を評して餅とはいささか不謹慎だが、作家の了承は得た上で、このまま餅で進める。

 餅は可変可塑の物体である。表皮と中身が連続していて握れば簡単にかたちを変える。二つの餅をくっつければ大きな一つの餅にもなるし、ちぎればいくつもの餅が生まれる。内と外の境界が曖昧で、アイデンティファイ(自己同一性を定義)しづらい。そのあり方が、新藤が言う「思考の集合体」という言葉から受ける印象に近い気がするのだ。

以前、新藤は仕事で一日中コンピューターの前で過ごす日々が続いたことがあった。人とほとんど会わず、自分以外の外部と触れるのは、ネットのニュースやFacebook、Twitter などのバーチャルな情報のみ。会うことはもちろんメールでのやり取りもしないまま、知人の近況をオンタイムで知ることができ、行ってもいない場所の写真を見て、疑似体験で出来事を共有する日々だった。

ネット上でやり取りされるバーチャルなコミュニケーション。実体のない情報によって、何かを思っている「自分」というものが「在る」ことに気づく。豊かで貧しいバーチャルな情報の足し算で形成されていく「私」というアイデンティティーがイメージされた。いったいどこまでが「私」で、どこまでが「私」ではないのかが判然としなくなってくる。「個」の輪郭がとても曖昧なものになり、「思考の集合体」という考えが新藤の頭の中にふと浮かんだ。

「もともと個人というものは、個だけで形成されるものではない。自分以外の、いろんな情報や経験、他者との関係によって成り立っているものだと思うんです」。

新藤の言うように、「個」は様々な外部に曝され、輪郭を浮き上がらせていくものだ。しかしこのとき、彼女が経験した外部は、極端に制限されていた。実体のないネット上の情報だけが彼女の外部という、非常にストイックな状況に置かれたことで、幸か不幸か、現代社会におけるアイデンティティーの有り様を実体験した。その実感をもとに描かれたのが、彼女が「思考の集合体」と呼ぶこの白い生き物というわけだ。

具体的な絵の話に戻る。初期、この「思考の集合体」は、一体で描かれることが多かった。だが次第に一つの絵に二体、三体と並んで描かれるようになる。画面の中で二つは決して視線を交わさない。

あくまで別種の「思考の集合体」として起立し、関わり合いを持たない様子で描かれている。しかし昨年の震災以降、それが大きく変わる。「思考の集合体」同士が対話をしはじめたのだ。もっとも顕著なのが屏風絵の作品で、これまでにない数多の「思考の集合体」たちが登場しコミュニケーションをとっている。蜘蛛の糸を昇るものたち、そこを目指し歩くものたち、その行列からふらふら抜け出すものもいれば、その途中で宴会をするものたちの姿もある、あちこちで「思考の集合体たち」の勝手気ままな出来事が起こっている。

「アミニズムの考え方に近いかなと思います。日本の古代からの考え方で、神様がいろんなところに宿るというのがあるじゃないですか。机の神様がいたり、お米の神様がいたり、勝手気ままに自分の世界を持ちながら、共存している。いい加減であいまいで、コントロールできないその理不尽さみたいなものが、どこか現実の世界のあり方に近いかなって」。

現代社会のあいまいな「自己」と、古代から続くアミニズム的なあいまいな「世界」のあり方が、奇妙につながった風景は、うっすらとユーモアがあり、優しく光っている。

そしてこの絵を見て思ったのがやはり餅だった。米一粒一粒にも神様が宿るアミニズム、その集合体としての餅となれば、餅には神様という名の数多のアイデンティティーがごちゃ混ぜになり、一つの塊をつくっていることになる。「思考の集合体」としての餅である。神様たちが、餅としてハレの日に人々の胃袋に納まって、わいわいと宴会をしている。そんなおめでたい景色が目の前に浮かんでくるのだ。
大小島 真木
Kyoko Shindo

1982年東京生まれ。2007年多摩美術大学大学院美術研究領域卒業。主な個展に、10年「-a transientapartment- 」(gallery Trinity、東京)、11年「GAME」(gallery Trinity、東京)。グループ展に、09年「表層の冒険者たち」(exibit live&moris gallery、東京)、10年「存在の濃度 」(アルマスギャラリー、東京)など。受賞歴に、「Young Artist Japan 2009」入選(ターナーギャラリー、東京)、「geisai taiwan#2」審査員賞受賞(台湾・台北)など。11月30日〜12月9日まで、遊工房アートスペース(東京)にてグループ展(新藤杏子、長坂絵夢、井澤由花子、吉川奈津乃)開催予定。取り扱いギャラリーはGALLERY YUKI-SIS(東京)
私の一色 コバルトブルー 77-D
「〈コバルトブルー〉は、粒子が荒くて水彩と混ぜたときにいちばん早く沈着するんです。粉っぽさを出したかったりとか、重く深い色を出したいときに、必ずこの色を混ぜて使うようにしています。単色で使うと発色がキレイに出るので、汎用性が高いというところが気に入っています」