ターナー色彩株式会社

 
美術手帖2010/1
石原延啓
  \sl235\slmult0曖昧な境界への誘い

石井芳征(KANZAN)=取材・文
吉次史成=撮影(作品図版を除く)
Text by Yoshiyuki Ishii Photo by Fuminari Yoshitsugu

個展風景  nca | nichido contemporary art 2009年11月

deer man 2009
キャンバスにアクリル絵具 227.3×162.1cm

deer man 2009
キャンバスにアクリル絵具 227.3×162.1cm


色の層を重ねて「deer man」が形成されていく

海外で買った20年前のGOLDENが偶然出てきた

壁にはトナカイの角を担いだ猟師の写真が貼られていた

黒板のスケジュール。11月に開催のncaでの個展2週間前の大詰めの時期に取材を行った
鹿の顔に人間のカラダをもつ半人半獣の怪物がさまざまに姿を変え、キャンバス、壁面と場所をまたがり繰り返し現れる。「deer man」と名づけられたその怪物は一体何か。

「自分という存在がいろんな意味で多層的だと思っている」と語る画家石原延啓。彼は、自己だけでなく、他者も含めたこの世界の「存在」というものすべてのあり方が多層的で、その「存在」をかたどる境界というものも、とても曖昧なものだと考えている。

「コンクリートの上に立っていても、その下には下水道が流れていたり、(目には見えない)歴史的な記憶が存在していて、ふいにどこかに通路が開いて違うレイヤー(層)とつながってしまう瞬間を経験することが誰にもあると思うんです」。

ではなぜ彼はそのような考えを持つにいたったか。きっかけは、古事記の国造りの項だった。火の神を生み死んでしまった妻イザナミをこの世に取り戻そうと黄泉の国へ向かうイザナギ。しかし腐敗しすっかり姿を変えてしまったイザナミに恐れをなし、追い払い逃げ帰ってくる話だ。

「その二人が最後袂を分けた場所が比良坂(ヒラサカ)という坂で、これは僕の完全に誤読なんですが、読んだテキストでは、平らな坂と書いてヒラサカとなっていたんです。そんな凄まじいやり取りがあった、あの世とこの世、生と死の境界が、平らな坂だということに衝撃を受けたんです。完全に思い違いなんですが(笑)。境界というとボーダーラインのようにはっきりとした線を思い浮かべてしまうけど、いろんなものを読んでいくと曖昧なんですよね」。

そうした境界に関する考えはある意味とても日本的だといえる。例えば庭から縁側を介して室内へと緩やかにつながる日本の建築にしても、内と外という境目、ボーダーラインはあまり意識されることはない。言い古されているが、パブリックとプライベートだったり、日常と非日常だったり、境界に対しての意識は日本の文化においては従来希薄であった。語弊があるかもしれないが、そういった観念自体なかった。つまり逆説的にいまこうして境界について語っていることそれ自体が、従来の感覚を私たちが失っているということを証明している。石原によれば、それは日本に限らず世界中のプリミティブな神話に元型(アーキタイプ)として存在しているわけだが、いずれにせよ石原はこの失われた感覚をいまの時代に取り戻そうとしているのである。

時間=歴史も含めたレイヤー(層)の重なりとしての「存在」の有り様、このテーマを作品にしはじめた当初、石原は自分自身が日常で触れた、その曖昧な場所、境界というものに、なんとかして他の人にも触れてもらおうとカタチなきものにカタチを与えようと試みていた。ニューヨークで若い頃に触れた抽象表現主義的なアプローチによって。無意識あるいは原子とでも言ったらよいだろうか、淡い色の滲みがつくる流動的なカタチが白い画面を漂う。それがいくつも変容しながら反復する、カタチを留めない波のようなシリーズ(連なり)の作品だった。

しかし現在の作品はそれとはまったく異なる見た目を持つ。画面に描かれるのは、ある時は目をちらつかせるほどの原色で、ある時は白と黒のコントラストで、より具体的なカタチを持った、鹿であり人である半人半獣の怪物「deer man」。それは「無意識と意識の間、生と死の間を自由に行き来する存在」であり、見るものをあの「曖昧な場所」へと誘う「水先案内人(パイロット)」である。

この水先案内人を得て石原はアプローチを転換した。「曖昧な場所」を絵として再現するのではなく、その通路を示すサインを執拗に提示する方法へと。

「やはり曖昧なものそれ自体をはっきり描くというのは困難なんですよね。プリミティブな神話では、人間と動物と神様の区別はないんですよ。最初は熊だったんですが、ひょんなことからdeer manが生まれて、deer manの目を通して自分が見たい『ヒラサカ』、曖昧な場所を探していけたらいいなと思っています」。

 もし日常の中で石原の言うような曖昧な場所への通路に迷い込む瞬間が訪れた時、私たちはそれに気づくことができるだろうか、そして受け入れることができるかはわからないが、石原はたとえいまのカタチでないにしてもdeer man的なものをずっと表現し続けるだろう。なぜなら彼自身がすでに水先案内人なのだから 。

◎いしい・よしゆき[美術ライター]
 
石原延啓 Nobuhiro Ishihara
1966年神奈川県生まれ。89年慶応義塾大学経済学部卒業、91年スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業(ニューヨーク、アメリカ)。主な個展に99年「石原延啓展」(森美術館、福島)、2001年「Keep moving−止まらないために」 (いわき市立美術館、福島)、02年「比良坂」(Nagamine projects、東京)、08年「Nobuhiro Ishihara」(I-20 Gallery、ニューヨーク)、09年「deer man」展(nca | nichido contemporary art、東京)。主なグループ展に00年「Frere New York Independent Art Fair」(chelsea inn hotel、ニューヨーク)、03年「出会いと対話」(宮城県美術館 ギャラリー、仙台)、 07年「Dark Matter」(Okay Mountain、オースチン)、「Places」(Luxe Gallery、ニューヨーク)。
私の一色 フタロブルー [79-B]
「本当は赤系統の色のほうが好きなんですけど、やはりテーマが生と死の境界ということもあって生きている側のものを描く時でも、あまりにも生き生きとしないように青を使うことが多いですね。その中でも使うのはほとんどフタロブルー。自分には色彩感覚がないという強迫観念があって、だからあまり色を混ぜず、基本的には原色に白を混ぜてトーンをつけていくやり方です」。