ターナー色彩株式会社

 
美術手帖2009/7
阿部岳史
あいまいな記憶が美しい

石井芳征(KANZAN)=取材・文
吉次史成=撮影(作品図版を除く)
Text by Yoshiyuki Ishii Photo by Fuminari Yoshitsugu

右--day dream #15 2008 アクリルキューブ、アクリル絵具 33×24×1cm
左--day dream #14 2008 アクリルキューブ、アクリル絵具 33×24×1cm

day dream #23 2009 木製キューブ、アクリル絵具 42×59.4×2.5cm

幽霊たち#01 2006
アクリルキューブ、アクリル絵具  175.5×60×1cm

day dream #11 2008
アクリルキューブ 14×11×1cm

sign of ghost 2008
アクリル板 60×176×48cm

「作業は基本的に奴隷仕事ですよ(笑)」と素材となる木製のキューブを一つずつマスキングテープから外していく

宙に浮いたような効果を狙って新たに試行中のアクリルキューブ。表面にフロスト加工がされている
アクリル版を使った作品。小さなキューブが宙に浮かぶように規則正しく並ぶ
PCを使ってつくられた下絵。キューブの数を決めるため設計図をCADで作成する
阿部岳史 Takeshi Abe
1977年東京都生まれ。2000年東北芸術工科大学美術科彫刻コース卒業。03年東北芸術工科大学研究生修了。08年Pro Artibusの招聘により3か月間フィンランドに滞在。東京都在住。08年「阿部岳史展 vol.5」(Pro Artibus、エケナス、フィンランド)など個展多数。主なグループ展に、05年「アンドロイドは夢を見るか II, Part I」(Pepper's Loft Gallery、東京)、「トーキョーワンダーウォール公募2005」(東京都現代美術館)、「拡張する界面」(アトランティコギャラリー、東京)。現在東京オペラシティアートギャラリーにて、6月28日まで「project N 37 阿部岳史」が開催中。
解像度の低くなった記憶を再現したい」。彩色を施した木片のキューブをグリッド状に並べ大粒のモザイク絵のようなイメージをつくり出す阿部岳史の作品。人の顔や風景などのイメージがいつまでも固定されることなく、ぼんやりと空間に浮かんでいる。

「解像度の低くなった記憶」をつくり出すために、通常阿部の作品づくりはイメージの元になる写真をパソコンに取り込み、フィルターをかけ、ぼかすところからはじまる。輪郭も色面もにじみ、ディテールを失ったイメージはさらに四角い色のグリッドに分割され、情報量を減らされ、文字通り解像度が低いものへと変えられる。

作品によっては、タイトルを見なければ何が描かれているのか、いつまでたっても見えてこないものもある。人の顔や全身が描かれたものは、比較的容易に認識しやすいが、とくに風景の作品は、なかなか見えてこない。作品と距離をとったり、薄目で見たりしてやっと像を結んでくるものが多い。作品によって、その解像度の違い、あいまいさは異なるが、一度はイメージがつかめたとしても、しばらくして見るとまた一からイメージを探らないといけないような、自分の記憶自体のあいまいさに気づかされる作品もある。ではなぜ彼は「解像度の低くなったイメージ=記憶」を再現しようとするのか。

「輪郭がぼやけた、あいまいな記憶のほうが美しい気がして」と阿部は言う。それは記憶を懐かしむこと=ノスタルジーに美を感じるのとは対極にある考え方だ。阿部の作品に懐かしさはない。そもそもイメージ自体がなんなのか、磨りガラス越しに見る風景のようにぼんやりとしていて、特定の記憶とリンクしてこない。一つのイメージを共有体験するような仕掛けや演出はない。むしろ彼の作品を前にした時、懐かしむという行為には邪魔になるような、まったく関係のない、とくにストーリーがあるわけでもない記憶ばかりが呼び起こされる。そのため、この感じはどこかで感じたことがあるという実感や感触だけが、それぞれの個人の中で際立つ。

「例えば子どもの頃に撮った映像や写真を見返して思ったんですが、映像は情報量が多すぎるんです。動いていて、時間軸もあって、色情報もあって音もある。自分で想像して再構築する余地がない。カラー写真の場合は時間軸がなくなり、モノクロの場合は色情報もなくなる。自分で想像する余地が増えてくるんです。記憶って情報量が少ないほうがとっかかりとして魅力的なんだなって。自分の記憶をもとにした作品であっても他の人にとっては違う記憶のスイッチになる、情報量を少なくすればするほどその最大公約数があがっていくんじゃないかと思うんです」。

「解像度の低くなった、あいまいな記憶」によって生まれるスキマ。見る者はそのスキマを無意識に埋めていく。自分の記憶の倉庫を開いて。しかし倉庫は意識して管理しているものではなく、存在自体忘れていたもしくは知らなかったもので、未整理で命名もされていない記憶ばかりがつまっている。自分のものであるはずなのに、まるで他人のもののように憶えのない記憶、いつどこで得たのかわからないが、確かに自分の中から出て来ているという事実、その時の感触に戸惑いながらも、人はあいまいさの中でさまざまな想像力を働かせていく。

「せめてとっかかりを残しておきたいですね。コレを見たら何かを思い出すとか。その意味では、匂いが一番魅力的なあり方をしている。記憶と直結して思い出させることができて、しかも再現はできなくて共有しづらい。カレーの匂いとか具体的な固有名詞がつかないと共有ができない。匂いが作品のヒントになる気がしています」。

人の記憶を作動させる「とっかかり」あるいは「スイッチ」、それが、阿部のつくる「解像度の低いあいまいな記憶」である。ある一つの記憶(過去/歴史)を共有するのではなく、無意識的に記憶がわき出し、自動的に想像力が働く時の実感そのもの(現在)を共有する。それが阿部が考える記憶の共有というものだ。

「解像度を落とすことを突き詰めていったとき最後には何もなくなってしまうかもしれない(笑)」。

それはどこか詩や俳句のあり方に近い。限定された要素=言葉と余白に、人はそれぞれの記憶や想像力を喚起される。私たちは、阿部が用意する解像度の低い記憶を前に、過去という歴史ではなく現在という詩を体験するのである。

◎いしい・よしゆき[美術ライター]
私の一色 チタニウムホワイト [11-A]
最近の作品は黒を基調にしたものが多いが、以前の作品は白ベースにしていたという阿部。「キューブ以外の余白の部分で白を多く使います。黄味がかったものなど白にもいろいろあって、作品ごとに変えてしまうとバラツキが出てしまうので、ベースの色選びはシビアにやっています。ゴールデンのチタニウムホワイトは明度が高くて、まさに白という色なので、小作品にはよく使っていました」。