ターナー色彩株式会社

 
美術手帖2008/7
衣川泰典
スクラップブックのような絵画

石井芳征(KANZAN)=取材・文
清水奈緒=撮影(作品図版除く)
Text by Yoshiyuki Ishii Photo by Nao Shimizu

上●みえないものにふれてみる#4(ポートレート) 2008
紙に印刷物、アクリル絵具、顔料、ジェッソ、メディウムほか 175×620cm 撮影=表恒匡(neutron)
下2点●みえないものにふれてみる#4(ポートレート)部分

みえないものにふれてみる#2(おとこのこ) 2007 紙に印刷物、アクリル絵具、顔料、メディウムほか
175×400cm 撮影=北野裕之


UNTITLED_切手_花 2008 紙に印刷物、アクリル絵具、顔料、ジェッソ、メディウムほか 28×36.5cm 
撮影=表恒匡(neutron)

外国の骨董市で手に入れたスクラップブック。現在の画風のきっかけに
パノラマ状に広がる大画面には、白地に隠れて、チラシ、パンフレット、自分で撮影した写真のプリントアウトなど印刷物が多層的に貼られている
《みえないものにふれてみる#4》部分図。切手を貼り背景を塗りつぶして描かれた花の絵。その横には恐竜のシールが透ける

支持体には版画用のロール紙を使用。展示用のパンチ穴が開けてある
幅80cm近くある、衣川のスクラップブック作品。その異常な厚みは、ブックというよりオブジェに近い
衣川泰典 Yasunori Kinukawa
1978年京都生まれ。2004年に京都精華大学大学院芸術研究科造形専攻修了。主な個展に06年「ヨゾラノニジ」(neutron、京都)、08年「ふれて/みる」(neutron、京都)など。主なグループ展に06年「京都府美術工芸新鋭選抜展」(京都文化博物館)、 07年「裏アートマップ」(京都芸術センター)、「ふれてみる/なでてみる」(GALLERY RAKU、京都)、「Shangri-La Chandelier」(The Artcomplex Center of Tokyo、東京)など。

大きなパノラマ状の画面。その白い背景に、船、花、縄文土器、飛行機、城、女性、カーテン、山、カニなど、共通項を見つけられない数々のモチーフが散らばっている。強いて共通項を挙げるとするなら、それらが、元々はチラシやパンフレットなどの印刷物であったということだ。画面をよく見ると、そうした印刷物の紙自体の厚みが、微かな層となって画面全体をつくっているのがわかる。そのなかには切手や、駄菓子の袋、シールのようなものまで様々な印刷物を、探し出すことができる。

集めた印刷物の切り抜きを、画面に貼りつけ、その上から、モチーフをなぞって描く衣川泰典の絵画。そのコラージュ的手法をとるきっかけは、彼が外国の骨董市で見つけた一冊のスクラップブックとの出会いだった。人物の肖像写真やイラスト、おそらく雑誌や新聞などからの切り抜きが、丁寧に配置され、ある種のデザインともいえる、本来の持ち主の趣向のもと制作された、つくり手不明のスクラップブック。そのページをめくりながら、衣川は「ロードムービーを見ているような」感覚で、匿名のストーリーのようなものを感じたという。

「純粋に異文化に触れたような、もの珍しさやノスタルジーにとらわれているところも多々あるとは思うんですけど。僕の知らない過去の人が、自分なりに時代を喜びながら切り取っているような、眼差しみたいなものが見えた気がしたんです」。

実際にその現物を手に取り見てみると、名前も知らない、どこかの誰かが、熱心に丁寧に切り貼りしている姿がぼんやりと浮かんでくる。もっと意識的に想像力を働かせれば、物語(ストーリー)をつくれなくもない。人物を設定し、趣味を想像し、住む街を、家を想像する。妻を亡くした一人暮らしの老いた男が、誰に見せるでもなく、こつこつと切り取っては貼る作業を、毎晩静かに続けている。そんな風に考えると、顔も名前も知らない人物に、親しみさえ覚えてくる。

 しかし、その「親しみ=ノスタルジー」のなかには「解消されることのない不安」、正体不明の不可知な領域、つまりフロイト言うところの「不気味さ(unheimlich)」が同居しており、いとも簡単に私たちの創造する物語を破綻させる。完成するかにみえた物語世界(パーフェクトワールド)は、直前で泡となって消え、目の前には、ただの古びたスクラップブックが転がっているだけだ。

誰かがページをめくり物語が生まれ完成する手前で消えていく。そしてまた別の誰かによって、別の物語が生まれ完成手前で消えていく。完成することのない物語。

思うに、衣川はこの「不気味さ」を意図的に絵に描こうとしているのではないかと思う(不気味な絵を描くという意味ではないので誤解のないように)。《みえないものにふれてみる》という絵画シリーズは、まさにこの「不気味さ」を「不気味さ」のまま、何とか表現しようと試みている作品である。

「見えないものに触れるって不可能じゃないですか。でも絵のなかではそれができる。集めてきたイメージ、印刷物を、はさみで切ったり、絵具を使って描き起こしながら、自分が引っかかったものに肉付けして、触れていくような感覚。そういう行為をタイトル化しているんです」。

彼がここでいう「見えないもの」とは、つまり決してその正体を知りえない「不気味さ」のことであり、彼はそれを「見えるようにする」、つまり「親しみ」に変えようとはしない。「見えないもの」を見えないまま、とにかく「触れ」ようとする。「見えないもの」を「見えないもの」として、「不気味さ」を「不気味さ」として、そのまま画面に保存して、触覚的にその輪郭を確かめていく。そしてその行為が、パノラマの大きな画面に痕跡として残り、鑑賞者にかろうじて「見えないもの」=「不気味さ」という存在を告げるのである。「不気味さ」は解消されない。しかし見るものに意識はされる。

そういう意味で、衣川の絵は、まさに巨大な匿名のスクラップブックである。大きな画面。たくさんの切り取られたイメージ。私たちは右へ左へと移動しながら、まるでページをめくっていくような時間感覚でイメージの群れと対面する。そして文脈(背景)を塗りつぶされた浮遊するイメージの群れに、一瞬自由な物語の創造を期待するが、「不気味さ」の存在に、物語の完成は阻まれるのである。

「自分自身でも驚きたい」という衣川泰典が描く匿名のスクラップブックのような絵画は、知っているようで知ることのできない、親しみと不気味さをあわせ持っている。物語は生まれては消え、消えては生まれる。ただそのくりかえしが延々と続く。パーフェクトワールドはいつまで経ってもやってくることはない。

◎いしい・よしゆき[美術ライター]
私の一色 チタニウムホワイト TITANIUM WHITE [11-A]
「いちばんオーソドックスな白。ジンクホワイトに比べてチタニウムのほうが、蛍光色っぽい発色になる気がしますね。自分の表現したい世界の白い色に近い。原色をそのまま使うことはあまりなくて、下地に色を置いてから、その上にチタニウム系のホワイトを塗り重ねて使ってます。水やメディウム、顔料などの配合を工夫してマットな質感に仕上げています」。
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