ターナー色彩株式会社

 
美術手帖2008/3
大竹司
閉じられた世界を守ってゆく 守られた少女たちが開く別の物語

石井芳征(KANZAN)=取材・文 
長谷川聡=写真(作品図版を除く)

右上●てばな―はる―  右下●てばな―なつ―  左上●てばな―あき―  左下●てばな―ふゆ― 
いずれも2005年 綿布、毛布、パネルにアクリル絵具 直径18cm×5.5cm
撮影=松浦文生 Courtesy Mizuma Art Gallery ©ai yamaguchi・ninyu works


「フラットな絵の下に染み込む何か(物語世界)を包み込む」丸みを帯びた半立体的な支持体
制作中の作品と型紙に描かれた下絵
左●パネルに毛布と綿布で成型。絵の世界が側面にまでおよぶ
右●取材時に即興で描いてくれた扉絵

独恋 2004 手漉き紙にアクリル絵具 114×160cm
山山2007 綿布、毛布、パネルにアクリル絵具
131×200×9cm


ひま 2007 古裂、はまぐりの貝殻にアクリル絵具
6×9×2cm(2点組)
下2点撮影=宮島径 
Courtesy Mizuma Art Gallery ©ai yamaguchi・ninyu works


百の花、雪はふりつゝ 2006 壁面にアクリル絵具
270×1600cm
撮影=3rd eye Studio,Singapore Courtesy Mizuma Art Gallery ©ai yamaguchi・ninyu works

やまぐち・あい Yamaguchi Ai
1977年東京生まれ。99年にニニュワークス結成。主な個展に00年「かむろ」(サロン粋、金沢)、01年「おみなえし」(せんだいメディアテーク内NADiff bis)、02年「山口藍個展」(STEFAN STUX GALLERY、ニューヨーク)、03年「すくうとこ」(ROBERTS&TILTON GALLERY、ロサンゼルス)、04年「おやすみ」(Shaheen Modern&Contemporary Art、クリーブランド)、07年「山、はるる」(ミヅマアートギャラリー、東京)。主なグループ展に、04年「OFFICINA ASIA」(Galleria d'ArteModerna、ボローニャ)、05年「take art collection2005『美術百貨店』」(スパイラルガーデン、東京)、06年「Fiction@Love」(TheMuseum of Contemporary Art Shanghai、巡回Singapore Art Museum)。08年春、初の作品集『ほがらほがら』(Gingko Press)発行予定。
山口藍HP http://www.ninyu.com/
「とうげのお茶や」で暮らす9人の少女。山口藍が描く少女たちには、それぞれ「いち」「おきょう」「おさな」「菖蒲」「たま」「きく」「おきぬ」「おはん」「おたか」と名前がつけられている。時代は江戸時代後期。吉原の近くで非合法に営業している売春宿「とうげのお茶や」で生活を送る少女たちは、年の頃は10歳前後で、ほとんどの場面で、裸もしくは半裸の状態で描かれ、成長期前の幼いカラダを晒している。貧しさから身売りされ、親元を離れて暮らす9人の少女たちは、いつか吉原の遊女になることを夢見て、日々お稽古事に励んだり、幼い想像力ながら、共寝した男のことを想い、別れを悲しんだりしている。そのためか少女たちの表情は、どこか憂いを帯びている。しかしその憂いや悲しみの理由すらまだ漠然としか理解できないほど少女たちは幼い。

このように山口の描く絵には、細かな物語の設定が用意されている。9人の少女たちの物語の断片が、毎回カタチを変え個々の作品になっていく。言い方を変えれば、ひとつの絵が完成するたびに、少女たちの物語の世界も広がっていくわけだが、注目すべきなのはその物語の世界が、完全に閉じられた空間の中で展開されている点だ。山口が設定した「とうげのお茶や」の世界には、少女たちの客引きをするやり手婆や彼女たちのもとへ通う客など、9人の少女たち以外にも物語の住人が存在している。だが設定上存在する彼らが、絵の中に登場することは決してない。絵に登場するのは9人の少女たちだけで、物語は彼女たちを中心とした空間でのみ繰り広げられる。その意味で彼女たちは外の世界から断絶している。

「女の子自身を成長させることはないし、今後も外の世界と断絶させたままだと思います。私の中ではこの子たちは永遠のものなので。この子たちの年頃の精神が、作品づくりの意欲になっているし、私もそういう状態を描きたい」。

永遠に成熟しないということはつまり大人にならないということだ。近代の物語の主流が成長の物語であったのに対し、山口は成長しない物語を描く。それは一見、「オタク」「ひきこもり」等の言葉を想起させネガティブな印象を与えるかもしれない。成熟することへの拒否といういまの若者に蔓延している社会心理を反映しているといった安易な反応も予想される。

しかし「とうげのお茶や」の少女たちを見ると、誰よりも現実を生きているように見えるのは私だけであろうか。哀しげだったり、逆に何かを決意した強い眼差しをもっていたり、もの静かに世界を遠く見つめているような彼女たちの繊細で弱くもあり強くもある表情。閉じられた世界に生きる彼女たちだからこそ、ひと時の外側の世界との接触で、何かを敏感に感じとることができ、果てしない想像力を発揮できる。たとえば昨年の個展「山、はるる」(ミヅマアートギャラリー)では、見たことのない富士山に想いを募らせた少女たちが、富士見の真似事をして、遊び、夢の中で富士に登り、「きぬぎぬ」というシリーズでは、共寝をした男の着物の柄の中に入り込んでゆく。

「いちばん中性的な年頃で、男とも女ともつかない行動力というか言動であって、いちばん人間らしいというか、平和的。言葉も何も持たない状態、目とか耳だけしか使わなくても、生き延びられるような感じ。社会で生きていくには、ちゃんと言葉を持って、いろいろ生きる術を身につけていくほうが、人らしいのかもしれないけれど、もっとそれ以前の六感を働かせているような、本当に魂が見えたりするような人たち、そういうのが自然にできている女の子たちなのかなという気がしますね」。

それは、成長や進歩ではなく、変容の物語である。日々の些細な出来事に敏感に反応できる少女たちは、文字通り裸で世界と毎瞬間出会っているのである。

「もちろん私が彼女たちを閉じ込めちゃったんですけど、でもそれを守りたいというか。成長はしないけれど、日々のたわいもないことや外の世界との接触で感じるちょっとした衝撃を少しずつ物語にしていきたいので」。

内側を破壊することで外側へ抜け出していく、あるいは過去を否定することで未来をつくりあげていくといった近代思想の成長の物語(ポストモダンも含め)が、失効して久しい。そんななか、山口が選んだプレモダン的な閉じられた物語の世界は、もうひとつ別の物語の語り方の可能性を私たちに教えてくれる。

◎いしい・よしゆき[美術ライター]
私の一色 パイロールレッドライト PYRROLE RED LIGHT[31-D]
山口藍が描く現代風「和」の世界観。その色彩は、アクリル絵具でどのように表現されるのか。「赤色を使うときは大抵、黒や、濃い茶色、紫などを少し入れて、混色して、ちょっと暗い朱色みたいな感じにして使っています。色数は目、肌、髪の毛やアウトラインくらいしかないので、とくに差し色としての赤には気を使います」。