ターナー色彩株式会社

 
美術手帖2006/11
中岡真珠美


石井芳征=取材・文 
池田晶紀=写真(作品図版を除く)

アポロンとダフネ 2007 キャンバスにアクリル絵具 194×390cm


左●近作に頻繁に登場する鯰(なまず)。細かい描写が目を引く
右●頭上の要石(かなめいし)を外すと地震を起こすという伝説の鯰も極楽の世界の住人
左●実家の銭湯に描いた念願の背景画。キノコ雲を噴く富士を見て何を思う?
右●ノモンハン事件に従軍した宮崎の祖父の戦争記録誌
左●父なる大地 2005 キャンバスにアクリル絵具 65.2×53cm
右●母なる大地 2005 キャンバスにアクリル絵具 65.2×53cm

左●桜ガール 2004 キャンバスにアクリル絵具 72.7×72.7cm
右●着物絵1 2005 キャンバスにアクリル絵具 53×45.5cm
鯰絵 2007 キャンバスにアクリル絵具 50×72.7cm

みやざき・ゆうじろう Miyazaki Yujiro
1977年大分県生まれ。2001年東京造形大学美術I類卒業。個展に、2001年下郡温泉(大分)、02年ギャラリーエス(東京)、05年トーキョーワンダーサイト(東京)、現代HEGHITS GALLERY Den(東京)、06年Cafe JORDI(東京)。主なグループ展に、05年「トーキョーワンダーウォール公募2005」(東京都現代美術館、東京)、「Itazu Litho-Grafik展」(The DELL gallery、オーストラリア)、07年VOCA展(上野の森美術館、東京)。2005年「トーキョーワンダーウォール公募2005」大賞受賞。宮崎勇次郎個展「楽天地」がギャラリーエスEゾーン(東京)にて7月24日から8月5日まで開催。
現在ではすっかり数が減りつつある昔ながらの銭湯。煙突、番台、体重計。冷えた牛乳(コーヒー牛乳とフルーツ牛乳も欠かせない)に「ケロリン」の赤いロゴが鮮やかな黄色い洗面器。これぞ銭湯というモチーフはいろいろあるが、やはり銭湯に欠かせないのが、湯舟に浸かって眺める富士山の絵だ。正式には背景画(ペンキ絵)と呼ばれる銭湯の壁画。重厚さや高尚さとは無縁のペンキの通俗的色合いの霊峰富士を眺めて、人は吐息とともに自然とこの言葉を口にする。「ああ、極楽、極楽・・・・・・」。

自らを画家ではなく背景絵師と名乗る宮崎勇次郎が描く絵には、必ずと言っていいほど富士山が登場する。実家が銭湯を営み、子供の頃からお風呂といえば銭湯、一般客といっしょに広い湯舟に浸かっていた彼にとって、銭湯の壁に描かれたペンキ絵は身近なものだった。実際宮崎は、東京に三人しかいないという銭湯の背景画の職人の一人に師事を受けた経験もあり、彼の作品に見られる、目を刺すような鮮やかな青空と富士山の組み合わせというのは、ペンキ絵の影響によるところが大きい。

宮崎が描く富士の絵には、額縁に飾られた富士の絵が持つ重厚なマチエールも猛々しさもない。重厚ではなく軽薄。崇高ではなく通俗という言葉が彼の絵には相応しい。例えば奈良の大仏が土産物として、ポストカードやキーホルダーになり、まんじゅうのパッケージに二等身のイラストで描かれ、より身近なもの、ゆるいものになっていくように。信仰の対象としての富士も身近なものになればなるほど、崇高さを薄め、軽薄さを濃くしていく。ペンキで描かれた富士山で浄化された水が、一日の汗を流しにやってきた裸の人々を清めてくれる。そんな通俗的でゆるい極楽浄土である銭湯、宮崎言うところの「天国に一番近いかもしれない」場所が、彼の描く富士=極楽の絵の出発点となっている。

ギリシア神話をモチーフにした今年のVOCA展出品作《アポロンとダフネ》。ビキニに見立てられていたり、亀の甲羅にのっていたりと、富士山がなんのありがたみもなく反復する本作は、通俗性を超えて新たな神話のカタチを描き出しているように思える。

「神話は無時間的でものごとをくっきり分離してしまわない『対称性の論理』と、ものごとを物語の秩序にしたがって配置しながら語っていくことのできる論理能力との結合体に他なりません。そのために神話はふつうの論理には絶対にあらわれない、独特の『ねじれ』をもった神話特有の論理で語られるのです」(中沢新一『芸術人類学』みすず書房より)。

能面を被った猿(銭湯では猿の絵は客が去るという意味からタブーとされている)、顔から小宇宙が覗く釈迦、角を盆栽(小宇宙の象徴)にされた鹿など、寓意に満ちたモチーフの数々。ギリシャ神話と東洋的モチーフが混在する小宇宙的世界。終戦記念日だったという理由で描かれた富士山から立ち上がるキノコ雲(さらに画面右下のキノコ雲は蓮の花に姿を変えている)、鳥居から飛び出した御霊がカタチつくる兵隊(祖父)の顔。大きな神話、歴史的史実、個人の記憶が、溶けた輪郭のまま融合する神話世界。極楽浄土の風景は、矛盾やねじれを孕んだまま、パノラマ的に「どんどん横に繋がっていくように、終わりのない感じ」で続いていく。

「小学生の頃、校庭の排水溝にはまって出られなくなったことがあって、救出されるまですることがないから、空をずっと見上げていたんです。狭いところから見上げる青空は、楽園の入口みたいな感じで、その時の印象は今でもとても強く残っています」。

身動きのとれない狭い空間、密室から覗くどこまでも開放的な青空は彼の目にどう映っていたのだろう。すぐ目の前にあって、決して到達することのできない絶対的な広がり。絶望の中にしか現れない意地悪な楽園。おそらくそれはストレートな希望に満ちたユートピアではないだろう。むしろ、希望と絶望、善と悪、正と誤も線引きすることのできない渾沌とした世界であり、「無時間的でものごとをくっきり分離」することが不可能な、近代的二元論から逸脱した神話の風景=極楽浄土にほかならない。そんな場所に響くのはやはりあの言葉である。「ああ、極楽、極楽・・・・・」 。

◎いしい・よしゆき[美術ライター]
セルリアンブルー、クローム CERULEAN BLUE,CHROMIUM[74-C]
目の醒めるようなブルーのグラデーションが強く印象に残る宮崎勇次郎の極楽の風景。「絵の背景はほとんど空か海なので、青色は頻繁に使います。グアッシュを使うことが多いけど、このセルリアンブルーは透明色に近いので、溶かし具合でいろんな表情が出せるのでおもしろいですね。他の色と重ねて表情の変化を試してみるのもいいと思います」。