テクニカルサービス部長サラ・サンズのクローズアップ

マーク・ゴールデン: まず、初めて美術に興味を持ったときのことを質問させてください。子供の頃、スケッチや、何でもいいのですがビジュアルアートに強い関心を抱いた時期はありましたか?

サラ・サンズ: 熱中したものはありません。高校に入る頃には、アルバムのジャケットを細部にわたり模写したこともありましたが、それくらいです。

マーク・ゴールデン:
 では、アート以外の勉強や活動に興味があったのですか?

サラ・サンズ:
 ええ、主に作家ですね。もともと小説家志望で、その後詩人にあこがれました。裏話をお知りになりたければ、恥ずかしいことですが、美術を履修した大きな理由は落第することはないと思ったからです。デッサン入門と一緒に、確か、地質学も選択しました。地質学は皆が冗談交じりに「スポーツ特待生のための岩」と呼んでいたとても簡単な教科でしたから。ただ単に在学することが必要だったのです。実際にやってみるとデッサンがとても好きになり、次の学期には初級絵画のクラスに進みましたが、計画性はありませんでした。「ずっと絵画の勉強がしたかった」というわけではなかったのです。

マーク・ゴールデン:
 引き続き絵画を専攻したのですか?

サラ・サンズ: はい、そうです。1984年に学士号を取得した後、大学の5年目認証プログラムを受講しました。これは、美術学科の卒業生に負けないよう、学生に経験を積ませるためのプログラムです。この時25歳でした。その後、スタジオを持ち、パン屋の仕事を得ました。だから、パンを焼いては絵を描くという日々の繰り返しでした。結局、いくつかの大学院に応募しましたが、志望する大学院に入れませんでした。

マーク・ゴールデン: では、どうやって絵の道を続けたのですか?

サラ・サンズ: 主に地元のカフェやコーヒーショップに作品を展示しました。サンタクルーズはその意味でまさにカレッジタウンです。結局、ニューヨークに行くべきだと思い、3,000ドル貯めましたが、ニューヨークでは3,000ドルでは何もできないことがすぐわかりました。ちょうどその頃友人がスペインから帰国し、「あそこは素晴しい所よ。3,000ドルあれば6ヶ月は暮らせそう」と言ったのです。当時スペイン語はわかりませんでしたが、スペイン在住の画家の住所を教えてもらい、彼に連絡をとったのです。

マーク・ゴールデン: スペイン滞在中に絵を制作したのですか?それとも、見て回っただけですか?

サラ・サンズ: 夢中で描きました。膨大な時間でした。プラド美術館に通い、トレドに行き、吸収できるものはすべて吸収しました。すぐれた芸術品の近くで生活したのは初めてのことでした。後に帰国し、エールの大学院で絵画を専攻していた友人のアパートを間借りして、コネチカット州ニューヘーブンで絵画を制作し、ジョン・スレード・エリ・ハウスで初めて個展を開きました。そのことがとても励みになりました。その後カリフォルニアに戻り、制作を続け、サンフランシスコの複数の画廊に打診しました。やっと、ハケット・フリードマン・ギャラリーとコネができ、そのおかげで個展を開く機会に恵まれました。もちろん、仕事としてパンも焼いていました。

マーク・ゴールデン: まだ焼いていたのですか?

サラ・サンズ: そうです。それから、世間知らずにもポロック・クラズナー基金に申し込みました。大学院の学位も何もありませんでしたが、何と、基金から本当に10,000ドルの助成金が与えられたのです。

マーク・ゴールデン: それはすごい。あなたの活動に対する信じられないほど大きな支援ですね。

サラ・サンズ: そうですね。 思いがけないことでした。別の結果が出た可能性もあったでしょうし、私も他にすべきことを見つける必要があったかもしれません。しかし、そうなった以上、パン屋を辞め、絵に専念しました。それから、個展のために制作したポートフォリオ(作品図録)を集めてエール大学に応募し合格しました。当時30歳で、パン屋を経営するか、大学院に進むかどちらかしかできないと思ったからです。絵画制作を学ぶことが目的ではありませんでした。その分野の知識があり、すでに十分理解していると思っていたからです。しかし、教師として生計を立てるためには学位を取得する必要がありました。幻想は抱かないタイプですので、絵だけで生計を立てることは難しいだろうと常に想定していました。だから大学院に進んだのです。

マーク・ゴールデン: 大学院時代にきっとすばらしい教師や指導者に出会ったことでしょう。

サラ・サンズ: ええ、実に優秀な画家たちに出会いました。確固たる、意欲にあふれた画家たちです。ある意味ではブートキャンプのようでもありました。すべてがばら色で有益だったわけではありません。

マーク・ゴールデン: 学生時代に修復スタジオでアシスタントをしていたのですね?
サラ・サンズ: エール・アート・ギャラリーです。修復部には美術部の学生がスタジオアシスタントとして働くアルバイトがありました。つまり、雑用や材料の調達を手伝うのです。学生時代にそこで約1年働くうちにその仕事が好きになり、卒業後もアシスタントとして留まりました。

マーク・ゴールデン: では、それがきっかけで材料に関心を持つようになったのですか?それとも、ずっと関心があったのですか?

サラ・サンズ: エールはラルフ・メイヤー・ラーニング・センターの地元で、よく知られているように材料を重視していましたので、美術部の学生は皆、材料についてきちんと教え込まれていました。まさにアルバースの教えだと思います。ここで自分の知識がいかに乏しいのかを思い知らされました。エールは美術に対してきちんとした厳格なアプローチを取っており、それを突き詰めると材料へ至るのでしょう。

マーク・ゴールデン: すると、大学院の必須教科の一部だったのですか?

サラ・サンズ: ええと、大学院生ではなく、学部生の教科でした。大学院生は無視することもできたのですが。

マーク・ゴールデン: 面白いですね。では、エール時代から描き続けて実際に教える立場になったのですね?

サラ・サンズ: そうです。その道を歩き始め、まずまずの状態でした。いくつか良い仕事につくこともできましたし。

マーク・ゴールデン: 典型的なCAAコンベンションやその種のことをしたのですか?

サラ・サンズ: ええ。毎年すべてやりました。ニューヨーク・アカデミー・オブ・アートの大学院で教鞭を取ったときは楽しかったです。実に面白かったのは19世紀のフレンチ・アカデミーで教えているような雰囲気だったことです。その後、インディアナ大学で教えましたが、それが私にとって重要な職歴となりました。3年間の契約を終えた時37歳でした。他にも短期間教鞭をとった学校がいくつかありましたが、いずれも定年までの地位が約束されたものではありませんでした。その頃、私はウィリアムズバーグ・アーティスト・カラーズの製品を愛好しており、パンを焼く経験から、絵具メーカーになれるくらいの知識があると思っていました。つまり、パン生地を作ることは液体と乾燥した物質を混ぜることだと考えたのです。真面目な話ですよ。それほど違うはずはないと思いました。ミキサーと、乾燥した材料と、液状の材料と・・・

マーク・ゴールデン: おっしゃるとおりです。レシピをお持ちですからね。調整時間も、生地を寝かせる時間もあります。必要なものがすべて揃っているのですから。

サラ・サンズ: だから電話をかけてこう言いました。「いいですか。私のことをご存知ですよね。お宅の絵具のファンだということもご存知ですね。絵具メーカーは必要ではありませんか」。返事はノーでした。必要なのはビジネスマネージャーだったのです。

マーク・ゴールデン: そして、あなたにはもちろんビジネスの経験がありました。

サラ・サンズ: ええ。パン屋を経営していましたから。キャッシュフローの知識もありましたので、出向いてカール・プランスキーとカール・ケリーに会いました。そこで話が合い、つながりができたのです。いちかばちかやってみようと決心しました。カール・プランスキーが「いいかい。正直に言うよ。我が社には資金がない。給料は週250ドル、手当てはなしだ」と言ったことも覚えています。しかし、結局素晴らしい期間になりました。おそらくその時期に、顔料や、材料や、アーティストのニーズや、画家との対話をたくさん学んだのでしょう。

マーク・ゴールデン: いろいろな人が電話をかけて、質問をするのでしょうね。

サラ・サンズ: ええ。私は技術サポートとウェブ担当と営業を一手に引き受けていました。一人二役どころか、4役も5役もこなしている状態で、そのうえ、出荷業務にも携わっていました。

マーク・ゴールデン: では、広く浅く仕事をしたのですね。。そこで数年間仕事をしたのですね。

サラ・サンズ: ええ、1996年から2000年まで4年間働きました。ゴールデン社を知ったのはその時期です。電話をかけて何人かと話をしたことを覚えています。名前は覚えていませんが、皆とても親切でした。

マーク・ゴールデン: 当時、確か、技術サポートスタッフを補充する必要性が高まっていたのです。たくさんの電話やメールに対応しましたが、ナンシー(HR部長)がとても才能のある応募者に会ったと言って、ひとしきり話をしてくれました。履歴書に書かれたあなたのスキルを見て、ぴったりだという気がしました。

サラ・サンズ: ゴールデン社に来たいと思ったのは、とても評判の良い会社だったからです。だから、その文化の一翼を担うことにとても引かれたのですが、それは紛れもなく学習曲線でした。その時点で私は絵を描いたこと、つまり、文字通りアクリル絵具を使って描いたことがなかったのです。しかし、今でも覚えているのですが、一度答えを「知らない」だけだと言ったことがありましたよね?つまり、何か聞かれたときに分からなければ、勉強して理解した後、対処するということです。とても手間のかかることでしたが、それが正解でした。この会社に来たとき、技術サポートを担当したいという気持ちは全くありませんでした。正直に言うと、自分は教師であり、画廊に作品を展示する画家だと思っていました。だから、技術サポート?と思ったのです。
しかし、次第にわかってきた良さは、この会社には最適の居場所があるということです。なぜなら、私は本質的にジェネラリストですから。あらゆることに興味があるので、気持ちはウェブサイトデザインから情報システム、画材、教えること、技術サポートへと、どこにでも行くことができます。

マーク・ゴールデン: あなたにとってまさに技術サポートはそういう望みをすべて表現することができる足がかりだったのですね。

サラ・サンズ: その通りです。

マーク・ゴールデン: また、ご自分では決しておっしゃらないでしょうから、私が言うべきことは、あなたのリーダーとしての能力です。サラ、あなたは我々すべてにとって教師であり指導者でもありました。このプログラムのリーダーとして、予想以上の成果をあげました。我々にとっても、世界中のアーティストにとってもさらに大きなサポートの場を作ったのです。

サラ・サンズ: ここでは自分の居場所を自分で作ることができると言われたことがあります。だから、ある段階で、「行きたい場所はここ、やりたいことはこれ」と書き出し、提案したことを覚えています。ここに働くことについて一つ学んだ真実は、私たちがたくさんの人を励ましているということです。私たちはすべて、励ましあって到達し、成長するのだと思います。だから、窮屈に感じたことはありません。「いいかい、君の仕事はこれで、残りの勤務時間にやる仕事はこれだけだ」と言われたことは一度もありません。

マーク・ゴールデン: サラ、技術サポートサービスを率いることで最もワクワクすることは何ですか?

サラ・サンズ: 皆で考えている、つまり、それを考えていることです。あたりを見回して「さあ、画材会社の技術サポートらしい姿はこれよ。これが理想のお手本よ」といえるモデルなどありません。私たち自身がモデルなのです。そしてあるべき姿を考え、基準を作っているのです。素晴らしいのは基準を下げない姿勢です。皆、もっとよくなろうと自らを鼓舞しています。電話を受け、「分かりません」というたびにまた勉強しようという気持ちになる、そのこと自体が素晴らしいことだと思っています。それによって知識の限界がわかりますし、その人が、あるいは他の誰かが次に電話をかけてきたときに答えられるようにするためには、どこまで限界を広げればよいのかもわかります。何かがあるのです。つまり、月並みに聞こえなければいいのですが、車で職場に来て、自分の仕事が人を喜ばせることだと認識する、そのことに何かがあるのです。それが今の私の仕事です。私の仕事はできるだけ多くの人を喜ばせることであり、一人一人に「わー、すごい」と思ってもらうことです。そうなれば、それだけで会社にくる価値があるでしょう。そして、それがどれほどの喜びであるかがわかるでしょう。

マーク・ゴールデン: なるほど、すべての人のために、電話をかけてくれるすべてのお客様、あなたと話をするすべてのスタッフのためにそうしてくれているのですね、サラ。ありがとう。本当に感謝します。締めくくりにふさわしいお話でした。


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