ごあいさつ審査員のことば入選作品一覧
審査員のことば
岩渕貞哉(「美術手帖」編集長)
今回は、リニューアル第1回でありまた絵具メーカーの主催するコンペティションということもあり、絵画という形式に対して意識的であるかということがまずは基準になったように思う。大賞の龍貴子は、物質感のある絵具(土も含む)を荒い綿布にのせて描いた《草花》(グランプリ)と、つるっとしたキャンバスにステイニングで空の大気の層を描いた具象と抽象を行き来するような《北西》(入選)の2点で説得力があった。受賞作のなかでは、表層の構造をどのように組み立てるかを真摯に取り組んでいる作品が目を惹いた。岡田卓也は、異なった質の層をどう一枚の画面に統合するか、まだ試行錯誤中といった感は残るが、この複雑さを失わずに続けてもらいたい。山本雄基は、もくろみは面白いが画面の中に収まりすぎているところがあり、部分と全体が入れ子構造になるような運動がほしかった。平川恒太は、繊細な背景と神話的世界の展開する地とをそれぞれ自分のものとしている。そのうえで絵画の持つ豊かさを見たい。現在、絵画の価値をどこに置くかという判断基準は多様であってよい。しかし今回、絵画の成り立ちに還るような作品から出発できたことは喜ばしく、次回以降の発展につながることを期待したい。
岡崎乾二郎(造形作家)
芸術作品は素材と技法と主題の3要素で構成されるといわれます。このうち一般に習い事として習得されるのは技法です。いいかえれば、すでに実現された表現をそのまま受動的に受け取り、模倣することが習い事です。ここでは、その技法を使って何を描くのか、あるいはその主題のためにいかに素材を組織するのか、その素材はなぜ、そのように使わればならなかったのか、という問いは福次的なものとして棚に上げられてしまいます。いわば、その技法を使うことのみが目的となってしまっている。応募作の多くに欠如していたものも、まさになぜその表現方法を選びとったのか、その表現を使わないとできない、いかなるものを表現しているのか、という切実な問いでした。たとえば気象や地形などの生成変化を描こうとするなら、絵の具とキャンバス、木枠との物質的な干渉、生成変化そのものも当然主題として取り入れられるはずです。デューラー以来、ゲーテ、コンスタブルなどの問いを受けついで、素材と画法を組織し、主題として統合していたのがゴールデン賞の龍貴子さんの作品でした。
光田由里(美術評論家連盟会員)
チャレンジングな場となった。詳細はほかの審査員の説明におまかせしたいが、要は、絵画を「何を描くか」という観点から見るのではなく、「いかにして絵にしうるか」というメタレベルの視点を確認しようとする態度を打ち出したからである。いうまでもなく絵画はモニター上の「画像」ではない。複数の材料を選び用いてつくられた、モノである。どのような材料をいかに批判的に――つまり、既定の画材を根本的に吟味しなおして――意識的に使うかということに、デジタル時代に敢えて絵画を制作する理由のひとつがあるはずだ、という主張をこの選択から読み取られたい。もちろんそれだけでもない。少数意見かもしれないが、マチエールと造形的創意が、絵画の制作動機と一致している作品を筆者は求めようとした。その点から、平川恒太の半透明の背景に載ったちいさなキャラクターたちの半世界、デザイン的に整理されきった羽石雅也の空虚な叙情がすぐれていると考えた。
山口裕美(アートプロデューサー)
2009年は例年にも増してたくさんの作品を見てきた。自分の眼と自分なりの哲学において、審査をすることになるが、なかなかしんどい。全般的には「頭」ではなく「手」が描いている印象が強かった。その意味で、基本的なエントリー表の書き方にもう少し努力が欲しい。真の意味で絵画表現を通じてコミュニケーションしたい「メッセージ」がこちらに迫ってこない。情熱は、気迫はどこにあるのか。改めて考えていただきたい。大賞受賞作品、龍貴子氏の「草花」は、審査員の中で議論の対象となったが、私は向こう側が透けている麻のキャンバスへ西洋絵画の典型的なテーマである植物を描き、テクニックも含めた挑戦的なその態度に、1票を投じた。批評的精神が見えたように思う。機会があればぜひ龍さんと話をしてみたい。優秀賞は羽石雅也氏、石橋新司氏、平川恒太氏は世代も、表現も全く違うアーティストが揃った受賞となったが、私が興味を持ったのは平川氏の作品だった。時代の空気感があり、2000年以降にしか生まれない絵画だと思った。やはり同じ時代に生きていることをシェア出来る作品に私は惹かれるようだ。